東北のとある街の小さな土地に 小さなおうち(タイニーハウス)を建てました
この街で職に就くこともできました ブログのタイトルを新たに「ノボルの視点 東北の空から」にしました いつも夜明けの空がキレイなので思いつきました
今回は「認知症を防ぐ発見」です
多様性と地域性
前回のこのブログで この東北の街での運転マナーについて述べました
全国津々浦々で遭遇した 「マナーの悪さ」のワースト3にこの地域のドライバーは入ると思います
考えてみました それでもこちらは「よそ者です」
地域性が濃いとゆーことは多様性とは真逆のモノカルチャー傾向が強いとみなすことができます
必需品としてのクルマ
東京暮らしを30年続けてきたせいか クルマを所有するとゆーことは ぜいたくの延長にあるとゆー感覚が抜けません
家族ともども 二足移動が大好きです 時間が許せば 歩いたり かけたり(ジョギング)する方が気持ちがよいのです
しかし 公共交通機関が不便なので 通勤にはクルマが必要です わがアルトくんは毎日出動です 動かない日があるとすれば こちらが休日の時のみです
全く東京にいた時と クルマの使用状況が真逆です
身体としてのクルマ
そこで 気がついたのです この街の人たちは「クルマがないと生きていけない」んだ と
よく バイク雑誌などで コンビニに行くにも タバコを買いに行くにも バイクで出かけて 下駄がわりさ と バイク好きの言葉がありました
駄菓子菓子 「下駄」ならなくても不便はしませんが 「衣類」や「身体の延長」となると なくては生きていけません
2〜300m先のコンビニやマックに行くのさえクルマを使うこの街の人たちは すでに身体の一部になっているのでしょう
メディア論
そして さらに思い出したことがありました
以前 中学生に「メディア」をテーマに授業の準備をしていた時 マーシャル マクルーハンの「メディア論」に出会いました
テレビ ラジオ 広告 自動車 のそれぞれ拡張された身体である とゆー概略に 「目からウロコが落ちた」のでした
テレビは目の拡張 ラジオは耳の拡張・・・そして自動車(バイク 自転車)は足の拡張であり この論を突き詰めていけば現在のネット社会を予見できる とゆーことでした
その頃 スクールバスの運転手も兼務していて 全長8メートルほどの車両を運転し生徒の送迎業務などをおこなっていました
大型の車体は最初おっかなびっくりでも 慣れてくるとその幅や長さもなんとなく これぐらいなら大丈夫みたいな感覚が身についてきます これを「車両感覚」ともいいます
バスは自分の「拡張された身体」になろうとしているのだなぁ と思ったのでした
話をもとに戻すと 東北のこの街の人々も「クルマ」を自分の拡張機能として充分に使っているといえるのかもしれません
足裏感覚
この時期にジョギングをするにあたって ジョギングシューズではなくビーンブーツを履いて走っています とゆーことは以前にも述べました
路面は積雪だけでなく 踏み固まって凍結していたり 除雪された歩道の表面にうっすらと氷が張っていたり さまざまです
ツルッとすべって転倒しないよー 注意して足を運ばなければいけません
ジョギングやウォーキングは 自然と空間把握が必要となるので 「認知症」の予防に効果的だとゆー話をきいたことがあります
さらに すべって転ばないように意識を運ぶとゆーことは 靴底からの「足裏感覚」も鍛えられるとゆーことではないか と気づいたのでした
さて 「クルマが身体の拡張」としているこの街では 「足裏感覚を拡張」するのは少数派なのでしょうが さて・・・?
今回は以上です
ノボルでした
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