わたしたちが小さいおうち(タイニーハウス)に住むまで(その7)

小さなお家(タイニーハウス)で暮らす

ミロ展を観てきました(いまは近くていいけれど)

渋谷のBunkamuraでミロ展を観てきました

こんな時は 東京に住んでいると 便利です 美術館まで電車に乗って ドア to ドアで 30分ぐらい

ところでミロ 好きです

以前 ピカソについて少し触れました 「下手な絵を描く人」だと 子供の時は思っていましたが デッサン集で 天才ぶりを知って 認識をあらためた ということを

ダリについても 書きました リアルな絵が すごいし 好きだと思った ということを

ミロは 自分がアーティストなら ミロのような作品を 描きたいと 思う画家です

そして 自分で描いたミロ風作品を お家の壁に 掛けたい

ミロの作品は 「楽しさ」を感じます 

スペイン内乱の時期に パリで活動し 第二次世界大戦のために 奥さんの故郷マジョルカ島に避難して 制作を続けたミロは ピカソ同様にスペイン内乱を批判した

作品を残していますが ピカソのゲルニカと比べて 色彩も明るく 描かれる人物もどこかすっとぼけてユーモラスに思えました

わたしは 美術館では 作品をひとつひとつ 解説を読みながら 観賞するということをしません

展示されている部屋に入ったら 順路に沿って移動しながら 直感的に波長があった作品を観ます

ですから 作家の生い立ちや背景 作品の意味 成り立ちは あまり気にしません

自分に合うかどうかの方が 大切だと思います

日本語の教員をしていた時のこと

「直感」で作品をとらえるより 「作者の生い立ちや背景」を知って作品を理解する

ここまで書いて 思い出しました

それは あるインターナショナルスクールで 中学2年生に日本語のクラスを授業していた頃のことです

インターナショナルスクールといえど わたしが受け持ったクラスは 日本語が最も達者なクラスで 授業は日本語でおこないます 

中学2年生は 中学生向けのプログラムの最終学年に相当します 1条校と言われる日本の学校が中学3年生まであるのと このあたりが違います

ハイスクール(高校生に相当します)で さらに日本語を選択する生徒は ハイスクールになったら 日本語という教科は「実用的な日本語」か「日本文学」か選択して 大学入学の資格の取得するプログラムで 授業が行われるようになります

わたしのクラスでは 「日本文学」を選択する生徒が大半なので 中学2年生から 少しずつ日本文学に触れる授業を おこなっていました

たとえば 太宰治 森鴎外 中原中也 万葉集 百人一首などです

日本語を上手に話す彼ら 彼女らといえど 在学中は「日本語教科」以外は すべて英語で授業を受けてきました

日常にあふれる日本語ならば 読み書きも 日本の学校に通う生徒たちと 同じレベルでも 古典や近代文学は 文法や言葉遣い 語彙 などの 学習経験がありません

いきなり作品を読んで 興味を持たせることは むずかしいと思いました

まず「作者」の生きた時代 社会 生立ち 性格 家族からの影響 友人関係 恋愛 学歴 職歴など 「作者」の人物像を把握することから 始めます

わたしが 教えるのではなく 先に挙げた テーマ(時代や生立ちなど)ごとに 生徒たちをいくつかのグループに分け 生徒たちが 資料を図書館で探したり インターネットで見つけたりして得た情報をまとめて 全体にプレゼンテーションすることで 「作者」の人物像を全体でシェアします 

そういった プロセスを経て 生徒たちは「作者」に 人間としての興味を持ち その作品に「体温」を感じながら 観賞していきます

「作者」という人間と「作品」との関係性を 生徒たちは意識しながら 「作品」を読み解釈します 正解はありませんが 「作品」の解釈に「作者」の人間性という根拠が かならず存在します

根拠ができた 生徒たちは 授業の最終で 作品に対する自分なりの解釈を 感情や感傷をあいまいな表現で 残さずに 「なぜ」そう考えるのかを 「作者」「自分」「作品」との関係で具体的に 説明します

以上 ふと思い出してしまいました

今回は「土地探し」のお話が できなくなりました

「思考の過程」と「背景」を大切にしたい という思いは 「ついの住処」となる土地を 決める時も 同じです

こじつけかな

では 次回 土地が決まるめどがたったことについて お話しします

ノボルでした

コメント

タイトルとURLをコピーしました