わたしたち夫婦は 東北のとある街の小さな土地に 小さなおうち(タイニーハウス)を建てました 引っ越してこのおうちに住むまでは まだ少し時間がありますが 彼の地で暮らすことを念頭に 日々準備をしています
このブログでは その過程や 背景となった考え方や 出来事などを 綴っていきます
興味のある方は このページに遊びにきてくださいね
今回は「生存競争とは」です
ブログタイトルを変えます
このブログ「ついの住処-ノボルの視点 わたしたちが小さいおうち(タイニーハウス)に住むまで」が今回で 第100回目になります
100回目をむかえ タイトルを「ノボルの視点 小さいおうち(タイニーハウス)で暮らす」と変えました
まだ実際に暮らしてはいませんが 小さいおうち(タイニーハウス)はほぼ完成し 来月には鍵の引き渡しがおこなわれるところまできました
まさに 小さいおうち(タイニーハウス)で暮らすための 離陸前の滑走路を助走している感じで タイトルを 「住むまで」 から 「暮らす」 に変更しました
お庭の雑草
「雑草という名の草花はない」ということを承知で 浅学なわたくしをおゆるしください
今回のアイキャッチ画像は 建ったばかりの 小さいおうち(タイニーハウス)の庭になる部分の片隅に 以前から生息していた雑草くんたちです
誰かがタネをまいて育てたわけではないのに ちゃんと生きていますね
生存のための競争
第99回で かいわれだいこんが 密生しないと「かいわれ」らしく たくましく育たなかった ということをお話ししました
密にタネをまいて お互いを意識して競争することで よく育ち 強い群生も生まれるのではないか で ひとも 強い個人や社会ができるためには お互いを意識しながら 競争していくのが 正しい生き方なのではないか と 問いました
これを 生存競争と呼ぶのでしょうか
わたしは ひとにとって このような競争は 強くなるための必要条件ではない と思います
飽くなき好奇心
チコちゃんでやっていました 「ひとはなぜ旅に出るの?」
「それは好奇心があるから」だそうです
ひとに好奇心があるのは 「本能だから」ということでした
また 遺伝の話で 「獲得形質は遺伝しない」という定説があり キリンは高いところの葉っぱを求めていくうちに首が長くなった という寓話が否定されたりするのですが
しかし「獲得形質の遺伝」を否定すると 説明できないことが 存在するそうです
たとえば 人間の赤ちゃんが 生まれたばかりなのに すでに足の親指の裏の皮が 他の場所と比べて厚いというのです これは「獲得形質」が遺伝している証拠だといいます
生命が よりよく生きようと試行錯誤するうちに 形状が変化していく その名残は決して生存競争を生き抜くためではなく くまなき好奇心の賜物だと ゆーのです
強くなる必要はない
「生存競争」という言葉は 本当はひとには そのような本能はないのに 資本主義を継続させるための 欺瞞や方便ではないのかと 思います
スポーツは 競争をしなければ 能力の限界を引き出せないでしょう しかし 記録が更新されたり 不可能だと思われていた技が生み出されたりするのは 競争の結果ではなく ひとに「好奇心」や「探究心」があるからでは ないかと思います
経済を見てみても 全ての企業が 利潤の追求や 富の取り込みを目的としているのではなく 改善 改良 することで 人々の暮らしを良くしていくことに 力を注いでいる会社も数多く存在します
その結果 業績が右肩上がりになっているだけで やはりそのような会社の原動力は たゆまなき探究心 好奇心なのだと 思います
決して 他社に勝利して強くあろうとなったのではなく 「自己に克つ」ことが存在意義なのです
個人として
競争に勝たなければ 生き残れない 「勝ち組」になれない というのは 単なる幻想ではないかと 気づかなければいけないと 思います
個々人が よりよく生きることを 競争ではなく 探求や工夫をすることで 実現できるとしたら 誰も犠牲にしなくても みんなが幸せになれると 思うのです
だから わたしたち夫婦は 他人と比べることなく 地方に小さいおうち(タイニーハウス)を建て 少ない収入でも豊かさを感じられる生活を実現したいと 思っています
今回は 以上です
ノボルでした
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