ついの住処-ノボルの視点 わたしたちが小さいおうち(タイニーハウス)に住むまで(第55回)

小さなお家(タイニーハウス)で暮らす

わたしたち夫婦は 東北のとある街に小さな土地を見つけ 小さなおうち(タイニーハウス)を建て 「ついの住処」の準備をしています

このブログでは その過程や 背景となった考え方や 出来事などを 綴っていきます

興味のある方は このページに遊びにきてくださいね

今回は 「メタバースについて考えた」の続きです

子どもの身体能力

「うちの中にばっかりいないで 外で遊んできなさい」と わたしたちの子供のころは よく言われました 言われなくても 子どもは 暗くなるまで 外で遊びました

部活をしたり スポーツ教室に通わなくても 基本的な身体能力は バランスよく身につきました 半世紀前に こどもだった 普通のひとの 日常でした

子どもが 身体能力を身につけるのに 逆ベクトルの 遊びがあらわれたのが わたしが中学生ぐらいの時 喫茶店や駄菓子屋に置かれた インベーダーゲームでした

インベーダー(エイリアン)が 「人類虚弱化計画」に着手した 瞬間でした 遊びを ゲームにシフトした 子どもの身体能力が 低下し始めたのだと思います

ニューエイジ

わたしの世代より 少し前の世代 1950年代に生まれて 60年代 70年代初めに 青春を過ごした方々のカルチャーに ニューエイジ(日本では 精神世界)がありました

今の人が 「昭和レトロ」といって 少し前の世代のカルチャーに おしゃれな感覚を持つように わたしたちが 10〜20代を過ごした サブカルチャー周辺には ニューエイジの片鱗がありました 

すでに趣味の多様性が始まっていたので 全てがそちらに向くということはなかったのですが たとえば 本屋さんでも ある程度のスペースで ニューエイジのコーナーがありネイティブアメリカンのアクセサリーや サンキャッチャー アボリジニ文化を伝える 小物を売るお店があったり しました

自分の精神を 解放することで 宇宙とつながることができること 世界や宇宙は 内に外に 何層もあって そのどれにも つながることができるということでした 

ネイティブアメリカンのメディシンマンや アボリジニの本来の生活をしている人々や チベットの高僧など 文明からいちばん遠いところにいる人たちは その能力を持っていると思われていました 会いにいったり 生活をまねたり する ひとたちもいたらしいです

わたしは ダグボイド著「ローリングサンダー」を読んだり ラピスラズリの熊のペンダントを身につけたり していました とくに何か実践したわけではないのですが その分野について 知ることが楽しかった記憶があります そういえば J-wave主催の その手のイベントに参加したこともありました

ネット環境

インターネットがつながっている環境は大変便利なものです わたしたちにさまざまな恩恵をもたらしてくれています

しかし メタバースのように ネットの技術進歩が 人間の精神的な領域にまで 入り込んでくるのは 大いなる勘違いの世界に人々が誘導されていくようで こわい気がします 

ネットの環境は 世界とつながっていることで それまでの個人の知る能力を超えて はるかに多くの情報を手もとに引き寄せることができます

宇宙は もっと恒大で 内にも外にも 何層にも存在するという 概念をものさしにすれば ネットが構築する世界は 微小なものに過ぎないと思います

ですから ネットの生み出した「メタバース」で 世界が完結することは ひとの認知の可能性を停止してしまうと 思うのです

攻殻機動隊 ghost in the shell を観て

息子がおすすめの 「攻殻機動隊 ghost in the shell (1995年)」を昨日 NETFLIXで観ました

薦められていたのは ずいぶんと前からでしたが 機会があって やっと見ることができました 独特の世界観が 大変おもしろかったです 

また メタバース推進派の理想のひとつに 当作品やそれに近いSF作品の世界観が あるということで なんとなく理解もできました

作品のラストで 敵と戦ってそれまでの強靭な義体(アンドロイドのボディ)を失って 華奢な少女の義体を与えられた 草薙素子少佐は 次の任務まで その姿で任務を離れるのですが 「さて これからどうするか ネットの世界は 広大だから」といって消えていきます

メタバース推進派は ネットの世界を広大だと 思っていることに わたしは納得しました

今回は ここまでです

ノボルでした

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