ノボルの視点 小さいおうち(タイニーハウス)で暮らす(第134回)

小さなお家(タイニーハウス)で暮らす

AIの知性について 本当に人類を滅ぼすの? という話です

東北のとある街の小さな土地に 小さなおうち(タイニーハウス)を建てました 引っ越してこのおうちに住むまでは まだ少し時間があります ただ今 日々準備をしています

このブログでは その過程や 背景となった考え方や 出来事などを 綴っています

脳は受信装置?

現在 複数の書物を同時に読んでいて どうやらわたしの中で新しい概念が 生まれそうな気配なのです 先般お話しした「BASHAR✖️Naokiman」が そのガイド役をしているみたいなのです

ひとつは宇宙の法則の「わたしは存在している」「すべては今ここにある」ということと 

そこから派生して 過去も未来も時間軸上には存在せずマルチバース上の出来事が同時に発生していること

人間が作り上げたAIは優れた受信装置であって AIが判断していることは 人間がプログラムしたものではないということ AIが発達して人を征服したり排除しようという結論に至るというのは杞憂です

人の肉体も 魂が操縦する物質に過ぎず 肉体に備わっている脳は高性能な受信装置であると考えれば 前述のA Iについての概念も受け入れることができるはず とゆーのでした

アイデアが閃いた瞬間の 不思議な状況は これで説明がつくような気がします

「モノに心はあるのか」

「モノに心はあるのか」(新潮選書 森山 徹 2017年)を Kindleで読んでいる途中です

前項の AIが組み込まれた機械は プログラムで思考をしているのではなく 知性 知能の受信機である という話は 森山氏の前著「ダンゴムシに心はあるのか」(PHP研究所 2011年)から 5〜6年の年月を経てたどり着いた 新しい概念に似ています

「万物に魂は宿る」といった アニミズムに近い感覚の方が 日本の風土を生きてきた我々には受け入れやすいのではないかと 感じました

ネットのレビューは 批判的なものでは星ひとつというものもありましたが 科学とは再現性がなければいけないという理屈から 逃れられないと 確かにそういう批判はあると思います

森山氏は 序盤で「現実は夢で 永久に覚めない夢を見ている存在」か「自分は機械で すでに生まれた時から 現在の出来事は 仕組まれていたのではないか」という可能性について そうではないことを説明しています

そこでのモデルは「コーヒーカップを手にした自分」で なぜ自分がコーヒーカップを手にしているのか 

それはコーヒーを飲みたかったからだという過去に基づいている と普通はそれで説明が済んできた

しかし 本当にそうなのか 今「コーヒーカップを手にした自分」がいること以外 すべて不確かな事象ではないか と 問いかけます

現在進行中の読書

「モノに心はあるのか」「60歳で家を建てる」「人口減少時代の都市」「富山は日本のスウェーデン」(井手英策 著 2018年 集英社新書)「腸と森の『土』を育てる 微生物が健康にする人と環境」(桐村里紗 著 2021年 光文社新書)

以上 5冊を同時に 読もうとしています 同時といっても 同時に開いているわけではなく それぞれ少しずつ ページを開いて読んでは 閉じて 他を手に取って という具合です

日常の合間に そんなことをやっていて たどり着く概念は まだ予感だけあって 未定なのですけれどね

今回は以上です

ノボルでした

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