東北のとある街の小さな土地に 小さなおうち(タイニーハウス)を建てました
この街で職に就くこともできました そしてその職を離れ 3月からは「保育士」として働くことになりました
この街とは青森県の太平洋に面した中核都市 八戸市です
これからは今まで伏せてきたことを少しずつ明かせていけたらいいなと思います
東京から移住して
2022年9月に東京都世田谷区から八戸市に引っ越してきて2度目の冬を越そうとしています
それ以前に関西の故郷の父と母はすでに他界していました
前後して わたしが幼少期に世話になったおじさん2人 おばがひとり鬼籍にはいりました
しかしここ八戸で暮らしながらお線香の1本も上げることができていないことが 気がかりでした
お参りに
2024年2月15日に今まで働いてきた会社を退職し 3月1日に保育士として市内の保育園で働くことになりました
無職の期間がちょうど2週間できましたので 関西の故郷に行く機会ができました
気がかりだったおじとおばの仏壇にお参りするのが目的です
Sおば
関西の故郷は八戸市からは1200kmほどはなれています在来線と東北・東海道新幹線を乗り継いで8時間かかります
駅に着いたら 駅の東側にあるガッツレンタカーで これから2泊する当地での足を借ります 2代前のスズキアルトAT仕様 これで十分
まず 街の中心街にあるAPAホテルにチェックインを済ませ 産土神のおわします宇須井原神社に参拝しました
その後 父の兄嫁にあたるSおばを訪ねました
Sおばは 売却した実家のあった土地に隣接した場所の一軒家に独りで住んでいます 齢はすでに90歳を超えています
いつものことながら 電話をしてもつながらず インターホンを鳴らしても返事がないので 裏に回って居間の方から声をかけました
「どなたですか〜?」「ノボルで〜す」
元気そーでした なによりです 午前中にはひとりでタクシーに乗って病院に行ってきたそーです
診察券の束を見せてくれて 「今日は眼科」「次は耳鼻科」「その後はまた眼科で」「来月は歯医者」と診察券の裏の予約票を指して説明してくれました
一昨年の秋に訪ねたときはうちにはいず となりに聞いたら きっと大きな病院に行っているはず 帰ってきたら伝えとくから と 後からSおばから電話をもらいました
「転んで怪我したから 病院に行ってきたんだけど 検査したら骨折はしてへんて 打撲だけや」てゆーてたっけ
今回 「そーゆーたら あの時転んだんってゆーてたけど その後大丈夫やったんか?」と訊いたら
「大丈夫やで いままであたし骨折とかしたことないねん 転んだこともなかったのに あんとき初めて転んだんや」て
父方の世代で唯一の生き残り 一番の長生きがSおばです
「わたし 薬とか サプリメントとか大好きやねん」と ビューティ&パワーてかいたサプリメントの袋を見せていいます
その傍には ヘルパーさんが作ってくれたとゆーがご飯の半分以上食べ残して ラップがかかっておりましたよ
そんで「長生き」なんは おめでたいこっちゃ
Sおばの息子で千葉県に住む同い年のいとこG君が明日の夜 仕事のついでに帰ってくるそーでした
「泊まっていって 会うてくれたらええのに よろこぶで〜」といってくれましたが わたしにはまだ訪ねてまわる予定があるから と ことわって 後にしました
Kおば
Kおばは 8人兄弟の3番目だった母のすぐ下の弟のJおじさんのお嫁さん
Jおじは 2016年に他界した母と2019年に他界した父のちょうど間ぐらいに亡くなりました
葬儀にはいけずじまいだったので 今回お仏壇にお参りすることにしたのです
姉弟で仲がよかったね〜 と思い出話を語るKおば 80を少し過ぎたあたりなのだけれど ひざがわるくて ちょっとした動作でもつらそうでした
商売を始めたばかりの祖父の負担にならぬようにと 学業成績が良かったのに大学をあきらめ 高専に進学したJおじ
地元の石油会社を勤め上げて定年で円満退社したあとは カラオケや家庭農園 ペン習字にはげんでいたとゆー
また 夫婦でいろんなところを旅行してまわったこと やさしかったJおじのことを たくさん語るKおばさん
わたしより少し年上のいとこにあたる ふたりのむすめたちは およめにいってどちらもしわせに家庭を築いているらしい 妹の方は地元の高校の教員にだったとゆーこと
「いっぱいお話を聞いてくれてありがとう」とKおばさん
お孫さんもたくさんいるようでしあわせそーでした お元気でいてください
そのあと APAホテルにもどって 湯船につかって旅の疲れを取ったのでした
とゆーわけで これが久しぶりの帰省の第一日目
明日は少し遠出をいたします
ノボルでした
コメント