ついの住処-ノボルの視点 わたしたちが小さいおうち(タイニーハウス)に住むまで(第78回)

小さなお家(タイニーハウス)で暮らす

わたしたち夫婦は 東北のとある街に小さな土地を見つけ 小さなおうち(タイニーハウス)を建て 「ついの住処」の準備をしています

このブログでは その過程や 背景となった考え方や 出来事などを 綴っていきます

興味のある方は このページに遊びにきてくださいね

今回は「便利に依存しすぎることについて考えた」です

手に入らないものを手に入れる

ギグワーカーという言葉があります

オンデマインドのプラットフォームを活用した企業と業務契約を結び 単発 臨時のサービスを顧客に提供する労働者のこと です

ちなみにギグ(gig)とは ライブでのセッションや クラブハウスサンドなどでの1度限りの演奏を指す スラングのことだそうです

コロナ禍が ネット通販や 料理配送サービスを 加速させました

宅配便の激増は Amazonなど 受注 発送企業と契約を結ぶ 大手宅配業者のシステムを パンクさせました その結果 大手運送企業は 契約を解消するか 下請けの下請け 孫請けをおこなう 仲介者や 労働者を 見つける必要に迫られました

外出して 店舗内での飲食を 規制されたコロナ禍において 店の運営者は テイクアウト販売に重点をシフトし フードトラックで自ら戸外に販売場所を見出したり 本来出前を採用していなかった店舗が ウーバーイーツやウォルトなどと契約を 結びました

ギグワーカーのおかげで 家にこもっていては 手に入らない モノや料理を いながらにして 手に入れることができるようになりました

働き方のひとつとして ギグワークを選択することに 反対ではありません 本業としても 副業で所得を補っても 柔軟に収入を得る手法が 増えてきたことは これが最終形態でないにしても 面白いことだと思います

しかし 消費者の行動選択として コロナ禍が収まってからも 自分の足で出かけて 飲食をおこなわず 宅配される料理をウチや職場で楽しむことを続けるのでしょうか

日用雑貨や 消費財なども 少し足を伸ばせば スーパーや商店街で 手に入れることができるものも 宅配貨物で受け取ることを 続けるのでしょうか

いちど便利になった 仕組みを やめるのはむずかしいと 思います

何が言いたいかとゆーと 個別配送はエネルギーの無駄が多いのではないか 環境への負荷が大きいのではないかと 思うのです いかがでしょうか

遠くの手に入りにくいものを ネットで注文するのは かまわないと思います たまには出前によって自宅で料理をたのしむのもよいでしょう

しかし たよりすぎるのは どうかと思うのです

より速くより遠くへ行くということ

昔 鉄道の導入によって 人々はゆっくり歩くことを忘れ その結果 人々は隣人の存在を軽視するようになり 身近で飢餓が起こっても顧みなくなってしまった という鉄道批判があったそうです 

疫病のパンデミックが起きるのも 人々が遠くまで簡単に移動できるようになったから という識者の方もいます

マハトマ ガンディーは 鉄道という新技術の引き起こす問題に対して「隣人の原理」を説いたそうです 隣人の支援を優先しなければ世界はバランスを失うとして 近くにいる人たちとの支え合いを重視するのです

ガンディーはスピードを批判し「よいものはカタツムリのように進むのです」と述べています ガンディーは約380キロの道のりを歩きながら イギリス支配の不当性を説きました

現代では飛行機も問題です 飛行機に乗れば簡単に遠くまで行くことができますが ビジネスが在宅で世界とつながる今日 旅行や観光に飛行機を使う必要があるのか 移動にともなう燃料消費や二酸化炭素の排出は考慮すべきです

現代人はスピードに囚われ 隣人の存在や近くにいる人たちとの支え合いを 忘れてしまったのではないかと思います

同じ理由で わたしは リニアモーターカーも不要ではないかと思っています

根っこは同じ

はじめはギグワークによる宅配について あとは速く遠くへ行くことができる交通手段について それぞれの無駄についてお話ししました 

片や うちにこもるな 一方は 遠くに行くな といって 矛盾しているように 思われたかもしれませんね

便利なものに頼りすぎずに 身の丈で 行動した方が 忙しくなくストレスもなく 生きていけるのではないか と思うのです

前述の「カタツムリのように進む」 こーゆー感じの生き方をしたいと 思います

ノボルでした

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