ついの住処-ノボルの視点 わたしたちが小さいおうち(タイニーハウス)に住むまで(第41回)

小さなお家(タイニーハウス)で暮らす
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わたしたち夫婦は 東北のとある街に小さな土地を見つけ 小さなおうち(タイニーハウス)を建て 「ついの住処」の準備をしています

このブログでは その過程や 背景となった考え方や 出来事などを 綴っていきます

興味のある方は このページに遊びにきてくださいね

今回は 子どもをバイリンガルに育てるために がテーマです

日当たりの良い社宅にて

かれこれ 25年ほど前 わたしたち夫婦は とある製鉄会社の社員寮で 生後1年になる息子の家族3人の 幸せな生活を送っていました

幸せなと 書きましたが 製鉄会社の 工員の生活を これからも続けていこうとは 考えていませんでした 

ツマは中学校から好きだった英語の勉強を 続けていきたいと思っていましたし 息子には 英語を身につけることで 将来の選択肢を増やしてやりたい という願いは 夫婦共通の願いでした 

わたしは英語には興味はなかったですが 今の3交代制勤務という働き方から 逃れたいと思っておりました

ツマが その頃続けていた 英語の勉強は NHKのラジオ英会話でした 

毎月買う テキストブックの 巻末に ワーキングホリデ=(ワーホリ)や語学留学を 斡旋する エージェントの事務所の広告が 掲載されていました

これだ! と思い 電話でアポイントメントをとり 夫婦と息子の3人で 事務所を訪問しました 渋谷のNHKに向かう 坂道の途中に そのオフィスはありました

語学留学

スーザンという オーストラリア人の 日本語が達者な女性が エージェントとなって わたしたちの話を聞いてくれました

乳幼児を連れた夫婦の 3人での海外ホームステイは 珍しいらしく 先方の好奇心もあったのか 随分と前向きに対応してくれた 感じがしました

まず どこの国に 何ビザで滞在するか

こちらの希望は 英語圏で 治安が良くて 比較的温暖な国に 1年以上の長期滞在が可能なこと

おすすめは ニュージーランドか オーストラリアか でした そしてビザは ツマが語学留学生として学生ビザを発行してもらい わたしはその配偶者ビザで同行 息子はビザはいらないとのことでした

ワーキングホリデーは 27歳という年齢制限があり 30歳を過ぎていたわたしたちは 調べてもらいましたが 対象外とのことでした

日本より 広い国を体験したかったので オーストラリアを希望したら 治安が比較的良いとされる 西オーストラリア州パース市がよいとのことでした

というわけで さまざまな手続きを経て 12月クリスマス前の西オーストラリア州パース市に 成田からカンタス航空の 直行便に乗って 降り立ったのでした

夏のクリスマス

12月の南半球のオーストラリアは夏でした でも 街はクリスマスムードでいっぱいでした ホストファミリーは マーガレットという太った初老の婦人が家主で 20代半ばの息子とその妻(オランダ人ということでした)が同居していました

わたしたち3人のために 用意してもらった 部屋に案内してもらい 荷物をときました

持ってきた荷物の中には 日本で用意した 「日本的なもの」を手土産もありました マーガレットに手渡すと クリスマスの楽しみにするからと 開封しないで リビングルームのクリスマスツリーの下に置きました

クリスマスまで あと2日でした

Cuby house

ツマは パース市の中心部にある ビルの1フロアを使った 日本でいうとNOVA(ノヴァ)のような感じの語学学校に 入校し通い始めました

わたしは 配偶者ビザで 週20時間未満までは アルバイトによる労働が認められていましたから 新聞の広告などで 仕事を探し始めました

1歳の息子は 出国前に手続きをしていた 地元の保育園Cuby house(カビィ ハウス)に入園しました ちなみにCuby house とは「幼獣のおうち」という意味だそうです

ホストファミリー マーガレットの家からは 徒歩で10分かからないところにCuby house はありました 息子はすでに 歩行ができるようになっていましたが 通園にはベビーカーを使いました

まもー

この後 マーガレットの家をでて アパートを借りたり 日本人同士で一軒家を シェアしたりして 14ヶ月を パース市で過ごしました

借りたアパートや 最寄駅からは 徒歩で15分以上かかりましたので 知人の紹介で オンボロのマツダボンゴを 1,800ASドルで 購入しました(1オーストラリアドルが80円程度) 

これはしばらくして エンジンがダメになって 廃車になりましたが 健在の時は 大変便利に活躍してくれました 息子の通園や コインランドリーでの洗たく お買い物などです

息子の最初の発語は 「まもー」でした 

いったい「まもー」とは

今回は ここまでです

次回 子どもを「バイリンガル」に育てる 続きです

ノボルでした

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