ついの住処-ノボルの視点 わたしたちが小さいおうち(タイニーハウス)に住むまで(第88回)

小さなお家(タイニーハウス)で暮らす

わたしたち夫婦は 東北のとある街に小さな土地を見つけ 小さなおうち(タイニーハウス)を建て 「ついの住処」の準備をしています

このブログでは その過程や 背景となった考え方や 出来事などを 綴っていきます

興味のある方は このページに遊びにきてくださいね

今回は「方丈記」です

「方丈記」

鴨 長明さんの「方丈記」を読みたくなって Kindle Paperwhite にダウンロードして ゆっくり 時間をかけて 読みました というか 古文を読むのに時間がかかりました

時間がかかったのに 古文だから 詳細がよく理解できない箇所があって だいたい理解できました って程度です 

ところが 大原扁理さんの「フツーに方丈記」(百万年書房 2022/2/15)という本 自分の「若くして隠居」という実践と考え方に 鴨さんの「方丈記」を重ねて考察されている内容ということで 新聞の広告で知り 早速ダウンロードしました

大原扁理さんの 著作「年収90万円で東京ハッピーライフ」(ちくま文庫)を読んで さらに中田敦彦さんのYouTube大学で 紹介されたりして 時代の先をゆく生き方に 興味がありました 

大原扁理さんの「方丈記」超訳

ゆく河の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず よどみに浮かぶうたかたは かつ消え かつ結びて 久しくとどまりたるためしなし

「方丈記」の有名な冒頭部分を 大原さんはこのように超訳しています

『河っていうのは いつ見ても同じようにさらさらと流れている と思いきや その実態はちょっと違うんです よく注意して見ていると いま目の前を流れた水は 次の瞬間にはもうずっと先に行ってしまって あとから来る水に絶えず取って代わられているんですよね 

岸辺に近くの水のよどみに目をやると そこにはあぶくが浮かんでいて・・・(中略)浮かんでは消え また浮かんで を繰り返し いつも同じように見えるよどみを あたらしい泡が形作っています』

と 原文に比べて 倍以上にふくらんでいますが 分かりやすい現代文で 原作の内容が大変理解できました

わが身を奴婢とするにはしかず

ウーバーイーツを利用してまでも 飲食店の提供する「料理」を 自宅に届けてもらったり 自分の運転能力の未熟さを 「衝突防止軽減装置」にたよって 運転技術の向上を怠ったり メタバースの到来で 寝たまま状態で IR空間で日常活動をおこなってしまえたり

ひとびとが じぶんでできる簡単なことすら やらなくなった 時代の行く末を 心配していました

以下「方丈記」の一文です

ただ わが身を奴婢とするにはしかず いかが奴婢とするならば もしなす事あれば すなはちおのが身を使ふ たゆからずしもあらねど 人をしたがへ 人をかえりみるよりやすし もし 歩くべき事あれば みづから歩む 苦しいといへども 馬 鞍 牛 車と 心を悩ますにはしかず

この部分を 大原扁理さんはこのように「超訳」しています

『いっそ自分で自分を雇うのも悪くないと思うんです 自分を雇うということは いままでお金を払って他人に任せてきたことを 自分の時間と労力を使って解決するということです 

それだって疲れるけど 同じ疲れるなら 他人に任せてできばえをあれこれ心配するよりも ぜんぶ自分でやったほうがマシ ・・・(略) 

移動するのだって 自分の足で歩けばいいんです そしたらタダですから 牛車なんて いちいち手配する手間やお金がかかってめんどくさいじゃないですか』

と 鴨さんも 大原さんも わたしの懸念を揶揄するかのようです

しかし 鴨さんも大原さんも すごいなと思うのは 自分の立場を「奴婢」や「自分で自分を雇う」と へり下った表現を使うことで 上から目線をさけていることです

罪業なり

そして この件の後すぐ

いかにいはんや 常に歩き 常に働くは 養生なるべし なんぞ いたづらに休み居らん 人を悩ます 罪業なり いかが 他の力を借るべき

「それに いつも自分の足で歩き 手を動かすっていうのはけっこうな運動になります 自分でできることもやらないなんて 罪深いことです お金を払ってわざわざ他人様の時間と労力を使っているわけですから」

と 大原さんの超訳です

わたしの思いを 代弁してくれているかのような 文章でした

次回 これに絡めて 本日 2022年5月15日付の 日経新聞の記事「高齢ドライバー 事故防止なるか」とその前日の「『幽霊レストラン』FCで広がる」について 考えてみたいと思っています

ノボルでした

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